作家が複数のペンネームを使う理由は様々だが、もっとも多いのが作風による使い分けだろう。乙一が恋愛小説で用いる中田永一の別名義もその例だが、『私は存在が空気』では、持ち味であるケレン味たっぷりの技巧派の作風に、さらなる磨きをかけている。
キーワードは超能力。スティーヴン・キングの発火能力(パイロキネシス)から、ドラえもんのスモールライトまで、収録6篇のテーマはバラエティ豊かだ。ふとした拍子に連続婦女暴行事件の真相に迫った主人公が、自分の希薄な存在感を逆手に大胆な行動に出る表題作からは、少女のほのかな恋心が鮮やかに浮かび上がる。
一方、冒頭の「少年ジャンパー」では、“トン!”と心地よい効果音とともに、主人公はめくるめく冒険を重ねていくが、それがコンプレックスのかたまりだった少年に大きな成長をもたらしていく。ボーイ・ミーツ・ガールの定石をことごとく裏切ってみせる破格の恋愛小説集である。
- 私は存在が空気
- 著者:中田永一
- 発売日:2015年12月
- 発行所:祥伝社
- 価格:1,620円(税込)
- ISBNコード:9784396634841
原田宗典の『メメント・モリ』は、スランプや不祥事で10年という長いブランクがあった作者の復活の狼煙といっていいだろう。“死を想え”という意味のラテン語の警句を源流に、死にまつわる断片的なエピソードの羅列から物語は始まる。それはやがて大震災のショックや鬱の苦しみ、家庭崩壊の危機といった自分史の大河となり、摩訶不思議なフィクションの支流に再び枝分かれしていく。
現実とフィクションの間を綱渡りするような感覚は、久々に小説と取り組む作者自身の手探りそのものかもしれない。そんな虚実の境界線上で読者が襲われる不思議な酩酊感が、中島らもの諸作を連想させたりもする。生きることが死と隣り合わせだという感覚は終始途切れないが、最後に差し込む微かな光明は、再出発を誓う作者の自負のようでもあり、今後への期待をつのらせずにはおかない。
- メメント・モリ
- 著者:原田宗典
- 発売日:2015年11月
- 発行所:新潮社
- 価格:1,620円(税込)
- ISBNコード:9784103811060
故滝田ゆうを思わせる装画から昭和テイストが立ちのぼる『踊り子と将棋指し』は、アルコール依存症の棋士とストリッパーが、巡業の旅に出るロードノベルである。横須賀の公園で目をさました主人公の三ちゃんは、一切の記憶を失っていた。子犬が取り持つ縁で踊り子の聖良に拾われた彼は、マネージャーになりすまし、興業先である大阪の天満に同行する。そこで手にした将棋の駒が、意外な才能を呼び覚ますことに。
本作で小説現代長編新人賞を受賞した坂上琴は、著者略歴によると断酒治療の経験者だそうだが、なるほど、三ちゃんが酒との距離感に悶えるくだりは実にリアルだ。流されるように生きる主人公の姿や、彼を支える踊り子や友人たちの人間模様の人懐こさには、作者の優しさが滲んでいる。南紀白浜への旅が、主人公の原点回帰に繋がるクライマックスも感動的だ。
- 踊り子と将棋指し
- 著者:坂上琴
- 発売日:2016年01月
- 発行所:講談社
- 価格:1,404円(税込)
- ISBNコード:9784062198790
セックスの必要性が後退し、家族という関係すらも消えようとしている近未来。人々の多くはアニメやコミックの中の人物と恋愛をし、出産は人工授精が常識となっていた。その世界観だけでなく、背景となる社会のディテールまでもがしっかりと作り込まれた村田沙耶香の『消滅世界』は、“家族とは何なのか?”を改めて問いかける小説といっていいだろう。
夫婦がセックスをしない世の中にあって、雨音は両親の性行為によって生まれたという生い立ちを、心の棘のように抱えて成長してきたヒロインだ。社会のあり方を否定する母親に反発するが、周囲の違和感にも苛まれる。そんな雨音の精神遍歴は、愛やセックスをめぐる道徳や常識が、世間の決め事に過ぎないことを改めて思い起こさせる。合理主義が愛や家族を駆逐するディストピアを描きながら、そこに希望の灯をともすところが、この小説の真に恐ろしいところといえるだろう。
- 消滅世界
- 著者:村田沙耶香
- 発売日:2015年12月
- 発行所:河出書房新社
- 価格:1,728円(税込)
- ISBNコード:9784309024325